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まだまだあるけど、取りあえずここまで。 |
あたたかな手
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タクシーに乗った時、ルームミラーに映る運転手さんの目を見ることってありませんか?私は必ず見ます。あの日からずっと、タクシーに乗る度に必ず・・・ あれは何年前だったかしら。夏の終わりの夕方でした。 私はお友達の家に遊びに行き、その帰りにタクシーに乗ったのです。 友達の家から私の家への交通の便は悪く、行くときは友達に迎えに来てもらったのですが、帰りはタクシーを呼ぼうと最初から決めていたのでした。 夕方まで遊ぶと、友達が電話でタクシーを呼んでくれて、私は何分か後に到着したタクシーに乗りました。 窓から友達に手を振りました。
「またね!」 友達が小さく見えなくなると、私は見るともなくルームミラーで運転手さんの目や額のあたりを見ました。 でもその時は本当にただ見ただけで、それから先に起こることが、何年経っても、思い出すたびに胸がギュッと痛くなるようなことだなんて、夢にも思っていませんでした。 私が乗ったタクシーは、しばらくはそのまま静かに走っていました。 ですが、そのうちに運転手さんの様子が少し変わってきました。 「うん・・・あ、そうか」 などと、独り言を言うようになってきたのです。 そのうちにその独り言が 「あれっ、ううん、あっ!」 というような感じになってきました。私が、もしかしてこの運転手さんは道に迷っているのではないかと思い始めたその時に、 「お客さん、どちらの道から行きましょうか?」 と言われました。私は 「わからないので、お任せします。」 と言いました。実際、本当に全然わからなかったんですから仕方ありません。 しばらく走ると、運転手さんはいよいよ車を止めてしまいました。 そしてなんと地図を取り出したのです。 私に向かって振り返ると、何度も何度も、すみません、と言いました。 私は少々びっくりはしましたが、別に急いでいるわけでもないし、運転手さんも感じの良い方でしたから、特に不安に感じることもありませんでした。 運転手さんは、よし、と言いました。 道がわかったのでしょうか。車は再び動き出しました。 そしてしばらく走ると、また信じられない事が起こりました。 なんとその車が、プスンプスン・・・と停まってしまったと思うと、そのまま動かなくなってしまったのです。 イライラが頂点に達した運転手さんは、ハンドルを両手でバンッと叩きましたが、すぐに慌てて振り返ると、すみません、とまた何度も言いました。 そして運転手さんは、 「お客さん、このままここで待っていて下さい!」 と言って、走ってどこかに行ってしまいました。 その時は呑気な私もさすがに焦りました。 このままこんな所に置き去りにされたらどうしよう!だって今いるこの場所がどこなのか、さっぱりわからないし、その当時は携帯電話もありませんでしたから。
何分くらい経ったのでしょうか。遠くから白いワイシャツの男の人が、ママさん自転車でこちらに向かって走ってきます。 あ、運転手さんだわ! 運転手さんは、私が乗っているタクシーのそばに自転車を停め、降りて後部ドアを開けました。 「お客さん、すみませんこんなことになって・・・でもこの自転車で、お客さんを無事に家まで送り届けますから!料金はもちろん頂きません!!さぁ、後ろに乗って下さい!」 運転手さんは近くにあった商店から、そのママさん自転車を借りてきたのだそうです。 私は少し笑いそうになってしまいました。 だってそんなことしなくても、考えれば他に方法がありそうなものじゃありませんか。 でもあんまり運転手さんが一生懸命なので、私は素直に自転車の後ろに乗せてもらうことにしました。 運転手さんは自転車のハンドルを握り、私はショルダーバッグをタスキに掛けて、運転手さんのベルトにつかまらせてもらいました。 自転車はしばらく順調に走りましたが、一向に私の住む見慣れた風景にはなりません。 運転手さんはやはり完全に迷ってしまっているようでした。 運転手さんは休むことなく自転車をこぎ続けました。 でも遂に止まってしまいました。 そしてまた私に、すみません、と言いました。 「運転手さん、疲れたでしょう?少し休みませんか。」 運転手さんは、大丈夫です、と言ってからすぐに、でもお客さん疲れたでしょう、と言って自転車を降りました。 「ちょっとジュース買ってきます」 運転手さんは近くにあった自動販売機でジュースを二つ買ってきました。私たち二人は道路脇の原っぱに腰をおろしました。 町はずれの一本道でした。 通る人も車もありません。 運転手さんは私にジュースを一本渡すと、自分の分をプシュッと開け、喉を鳴らして飲みました。 そして、フーッ、と大きく息を吐きました。 よほど喉が渇いていたのでしょう。 無理もありません、ずうっと自転車をこぎ続けていたのですから。 私は友達に、お菓子を包んで持たせてもらったことを思い出しました。 バッグにはティッシュにくるんだいくつかの小さなクッキーがあります。
「運転手さん、お腹すいたでしょう?お菓子いかがですか?」 私は二人の間の草の上に、ティッシュを広げました。 「あ、美味しそうだ。じゃ、遠慮なく、頂きます。」 運転手さんは、大きな手で小さなクッキーを一つ摘むと、飲み込むように食べてしまいました。 私は、全部食べて下さい、と言いました。 「ほんとにすみません」 運転手さんは、あっと言う間に全部のクッキーを食べてしまいました。 よほどお腹がすいていたのですね。 私は、ぱくぱくとクッキーを食べる運転手さんを見て、幸せな気持ちになりました。 私と運転手さんは、原っぱに座ったまま、空を見たり、お互いを見たり、草をむしったりしていました。 運転手さんは時々、大きな声で、ワハハハ、と笑いました。 二人とも、今なぜここにこうして座っているのか、忘れてしまいそうでした。 そして私は、このまま家に着かなくてもいいなぁ、なんて思いました。 でもすぐにそんなことを考えている自分にびっくりして、今思ってしまったことを取り消そうとしていました。 「そろそろ行きましょう。暗くなってきてしまった。」
私は再び運転手さんのベルトにつかまりました。 日が暮れかけ、風が冷たく感じられます。 私は身震いをしました。 しばらく走ると、ガッタン!!と自転車が大きく揺れました。 運転手さんは薄暗くなって来ていたので、道路の凹凸を見逃したようでした。 私は自転車から振り落とされそうになったので、夢中で運転手さんのお腹にしがみつきました。 あたたかい。 と私は思いました。 寒い中、ずっとベルトを握っていた手は冷たくこわばっていたのです。 私は運転手さんのお腹に手をまわしたまま、少し温まらせてもらおうと思いました。 でも、それはあまりにも無遠慮だなと考え直し、またベルトにつかまり直そうとしたその時・・・ 運転手さんは片方の手をハンドルに残したまま、もう片方の手で私の冷たくなった手を包み込んでくれたのです。 なんという大きくてあたたかな手なのでしょう。 私はその時、なぜか、涙が出そうになりました。 いったいどうして? なぜかわからないまま、私は運転手さんの温かさの中に体ごと包まれているような気持ちになりました。 いつの間にか私は、運転手さんのワイシャツの背中にぴったりと体を付け、目を閉じていました。 ほのかに汗の香りがするワイシャツは、温かくてしっとりと湿っています。 あぁ!どうしても涙がこみ上げてきてしまう、どうしよう! 私は今度は本当にはっきりと思いました。 このまま時間が止まってしまえばいいと。 このまま家に着かずに、いつまでもこうして運転手さんと一緒にいたいと!そしてもうその気持ちを否定することはできませんでした。 ふと眼を開けると、そこには悲しい現実がありました。 それはいつも見ている、私の家の近所の風景だったのです。 とうとう家の近くまで来てしまったのでした。 それから我が家の玄関先まで来るまでの時間の短さと言ったらありません。 私はもう、あふれてくる涙をどうすることも出来ず、運転手さんのワイシャツの背中に顔をうずめました。 「こんなに遅くなってしまって、本当にすみませんでした。」 家の前に自転車を停めると、運転手さんはそう言いました。 それから私たちは自転車を降り、しばらくうつむいて向かい合っていました。 私はこのまま運転手さんとお別れするなんて、とても悲しくて信じられませんでした。 でもだからと言って、いったいどうすれば良いというのでしょうか! 私は運転手さんの顔を見ました。ポロポロと涙が流れます。 本当にこれきり会えないの? 私はその時、運転手さんの目にも光るものを見ました。 あぁ、何ということでしょう。
運転手さんは黙って右手を差し出しました。 私は迷いました。 ここで握手をしてしまったら、さよならを言ってしまうことになるでしょう? でもやはり私は、その大きくて温かな手に触れたかったのです。 私は運転手さんの手を握りました。 涙があとからあとから流れては落ちます。 気が付くと私は運転手さんの胸の中にすっぽりと包みこまれていました。 私の小さな背中いっぱいに、大きな二つの手のぬくもりを感じました。 そして気が付くと、私は遠くに消えていく自転車の小さな影を、いつまでもいつまでも見送っていました。 おわり |
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まだまだあるけど、取りあえずここまで。 |







