レオタード ミラー

お客様の声

社交ダンス
【ジュブナイル】

ジュブナイル用レオタード

レオタード子供用

子供用レオタード

ノースリーブ子供

キャミソール普通タイプ子供

キャミソールオペラタイプ子供

半袖子供

五分袖子供

フレンチスリーブ子供

七分袖子供

長袖子供

私が作っています

バレエ用品の仕立てならミラーへ
レオタードミラー店長

佐藤 典子
(踊りは何でもスキ)

まとめ買いがお得です

店主は、長年のダンス愛好家です。その経験と洋裁の技術を生かし、踊りやすく、≪着心地の楽なレオタード≫を製作、通販しています。どれも良い生地で丁寧に縫いました。たくさん欲しいお稽古着ですから、お求め安い価格でご提供します。様々なダンスのレッスンにどうぞお試し下さい。

■ミーシャ!

バリシニコフ

 

経歴

 


旧ソ連・ラトビア社会主義共和国のリーガに生まれる。両親はともにロシア人。

 

父親はソ連軍の将校、母親は仕立て屋であった。

 

9歳のときに母親の勧めでバレエを始め、その後ラトビア国立劇場附属バレエ学校の生徒となる。

 

バレエ団の公演にも参加するようになり、16歳のレニングラード巡演の際に名門ワガノワ・バレエ学校に推薦されて入学した。

 

ワガノワではA・プーシキンに師事し、在校中の1966年にヴァルナ国際バレエコンクールのジュニア部門で第1位を獲得。

 

翌1967年の卒業後キーロフ劇場バレエ団に入団した。

 

 

キーロフでは初年度から『眠れる森の美女』の青い鳥、『ショピニアーナ』の青年などソロ役を踊り、身体能力、役柄の解釈、音楽性などあらゆる点で評価される。

 

1969年、モスクワ国際バレエコンクールで金賞受賞。このコンクール用に作られた『ヴェストリス』(L・ヤコプソン振付)はのちにキーロフのレパートリーとして海外でも有名になった。

 

1971年にはN・カサトキナ振付の喜劇 『天地創造』(A・ペトロフ作曲)の初演で主役のアダムを与えられた。

 

このように新作を振付けられてはいたものの、全体としてキーロフ・バレエ団は覆っていたのは沈鬱と停滞の空気であった。

 

1974年のカナダ巡演の最中に失踪。

 

米国に現れ政治亡命を申請した。

 

 

同年アメリカン・バレエ・シアター(ABT)にプリンシパルとして入団。

 

これまでの鬱憤を晴らすかのように様々な役を踊り、中でも初めてのモダン・ダンス挑戦となったT・サープ振付の新作『プッシュ・カムズ・トゥ・ショヴ』(1976年)が注目を浴びた。

 

振付と演出にも関わるようになり、バリシニコフ版 『くるみ割り人形』(1977年)、『ドン・キホーテ』(1978年)を作り、後者はのちに英国ロイヤル・バレエ団でも上演された。

 

1978年、ニューヨーク・シティ・バレエ団に移籍。

 

G・バランシンとの創作に期待をかけていたが、老振付家の健康がすぐれなかったためほとんど実現しなかった。

 

1980年にABTにプリンシパル兼芸術監督として復帰し、以後10年にわたってABTを指導することになる。時折舞台に立ちつつ芸術監督として古典の再演出に取り組んだが、その評価はまちまち。

 

新作としてK・マクミラン振付『レクイエム』(A・L・ウェバー作曲)などを送り出したが、自ら手がけた新演出『白鳥の湖』は莫大な費用をかけた末に失敗に終わった。

 

 

1989年のABT退団後は専らポスト・モダンダンスに取り組み、1990年から2002年までホワイト・オーク・ダンス・プロジェクトの芸術監督を務めた。

 

女優ジェシカ・ラングとの間に娘アレクサンドラを、元バレリーナのL・ラインハートとの間に一男二女をもうけている。

 

 


バレエ用品やレオタード 通販はレオタードミラーへ